高崎線 「昔は私もやんちゃをしたからねー」
高崎線 「昔は私もやんちゃをしたからねー」
誕生日 1883年7月28日
日本鉄道の大姉貴。
しかし東北と日光ぐらいしか姉と呼ばない。もう気にしていない。
自分のことを私鉄出身だとは思っていない。さらにいえば、日本鉄道を私鉄だと思っていない。
数多の修羅を乗り越えたため、計り知れない強さを身につけた。昔はやんちゃだったんだよと、彼女は素手で蜂を捕まえながら言う。
生まれた時から始祖根岸とは仲が悪く、今でも路線の在り方で対立している。
赤羽線 「お姉ちゃんまだ生きてるしむしろ現役だよ?」
赤羽線 「お姉ちゃんまだ生きてるしむしろ現役だよ?」
誕生日 1885年3月1日
山手の双子の姉。当初から赤羽と呼ばれていた。品川の名前は、妹が可愛いからあげた。ただし本線は赤羽であった。
後につけられた路線名がそれと一致していたのは運命のイタズラである。あるんだよ。
妹だけ複線化されても、可愛いから仕方ないねと軽く流した。
山手ほどではないが、マイペース。
お姉ちゃんだからねと、山手のことに関しては頑張る。姉妹仲はとてもよく、今も一緒にお風呂に入り、一緒に寝ている。
最近は埼京の面倒を見ていることが多い。
山手線 「うん、今日はこのやーしぶTシャツにしよう」
山手線 「うん、今日はこのやーしぶTシャツにしよう」

誕生日 1885年3月1日

赤羽の妹。かつての品川線。

ぐうたらだらだらしているように見える少女。

実際面倒臭がりではあるが、仕事が早い。その能力からも、主力路線は伊達じゃないといえる。

服のセンスが無い。「やーしぶ」Tシャツ、「がもすー」トレーナーなどなど。もはやこれはどうしようもない。

総武の妹馬鹿にも慣れた。

宇都宮線(東北本線)「僕も、高崎姉さんのように立派になりたいです」
宇都宮線(東北本線)「僕も、高崎姉さんのように立派になりたいです」

誕生日 1885年3月16日

日本鉄道の象徴的路線ではあるが、生まれたのは大宮の開業時で、1番ではない。

昔は奥州と呼ばれていた。

高崎のことをとてもよく慕っている。落ち着いていて礼儀正しく、生真面目。

日光線 「はいはーい、私めにお任せあれです」
日光線 「はいはーい、私めにお任せあれです」
誕生日 1889年6月1日
赤羽や山手のようにのんびりした口調で話すが、働き者。プライドが高い。
高崎を「お姉様」と呼び慕っており、やたら持ち上げる。
開業間もない頃に大役を任されたこともあり、日本鉄道の誇りを今でも忘れない。
が、東武との争いでは押され気味。大変悔しがっている。
上越線 「僕より奥州に世話を焼いてください」
上越線 「僕より奥州に世話を焼いてください」

誕生日 1884年8月20日

高崎〜前橋の延伸開業時に生まれた。

丁寧語で話すが、態度は悪い。高崎の気遣いにはいつも遠慮をしていた。

国有化直後は両毛線に組み込まれたが、その後開業した上越南線が上越北線を編入したとき、上越という名前をもらった。その際、上越北線は消滅している。上越南線であろう者が存在していなかったので、彼は自分が生き残ると最後まで思っていた。

八戸線 「よく来たねぇ!お茶飲むかい、飲んできなぁよお〜」
八戸線 「よく来たねぇ!お茶飲むかい、飲んできなぁよお〜」
宮古と久慈の姉。
マイペースで自由気まま。世話焼き。

常盤線

誕生日 1889年1月16日

水戸鉄道により開業し、後に日本鉄道に讓渡された。 元々社長は同じで親交も深かったため、すぐに馴染んだ